minority-net から一部抜粋

……………..しかし、パブリック・エネミーのリーダー、チャックDによる

「ラップは黒人のCNNである」

という発言がラップについての説明に用いられる常套句となっていたように、実際に、ラップはヒップホップ・カルチャーを構成している黒人を主体とした集団 の生活様式を彼等の言葉で率直に表現するものであり、それはラップという表現手段によって以外には伝えられることのなかったアメリカ社会の現実の一部を表 わしている。  白人が主体のアメリカ主流社会のメディアのラップの扱い方は、ラップが表現する黒人社会の問題が山積みになっている状況の根本的な原因や、文化的差異を一 切無視した人種差別的なものである場合が多く、それらのほとんどは揚げ足取り程度のものに過ぎない場合が多かった。

ジェームス・ブラウン自身も自叙伝のなかで、アフリカ・バンバーターとの1984年の共演に絡めて次のように述べている

「俺はラップやブレイクダンスやその他ヒップ・ホップから出て来たすべてを高く評価している。こういった レコードの多くは、コミュニティ-の問題を表現したメッセージだ。正しく使えば、こうしたレコードは60年代に起きたような暴動が再び起こるのを防ぐ助け になるだろう。コミュニティーがさまざまなことに対してどう感じているか知っていれば、何か手を打つことができるわけだ。俺は議員や役人、警察や判事たち に、混乱がふたたび起こる前にこういうレコードを買って、みんなが言っていることをよく聞くよう勧めたい。誰も1968年を繰り返したくなんかないんだ。 何が間違っているかを見つけたいんなら、みんなラップのレコードを買えばいいんだ。それが共通の基盤になるかもしれない。」
(ジェームス・ブラウン ブルース・タッカー著 『俺がJBだ!ジェームス・ブラウン自叙伝』 2003年 文春文庫)

ヒップホップ・カルチャーが提供する人種観、世界観は、人種統合思想や人種のるつぼ論のような現実を無視した理想論を振りかざすリベラルでも、保守的なものでもない。 ラップの商業的な成功と拡大は、アメリカ主流文化の受容やアメリカ文化における人種性の意義の無視、ブラックスプロイテーション映画のようなバッド・ニガー的なイメージの搾取、などに基づいたものではなかった。

ラップは、オリジナリティと、さらなる段階へ到達しようという欲求を重視した、競争の中で発展し続けてきた。そのような発展はいつも主流文化とはかけ離さ れた都市のゲットーにおいておこっていたものであり、主流文化とはかけ離れたゲットーだったからこそ、新しい表現が誕生してきたのであった。  ラップの発展の過程には、それを鈍らせる危機的な状況が幾度かあったが、ゲットーからのハングリーな新人が新しいスタイルを携えてシーンにあらわれ、状 況を再び活気づけてきた。

90年代前半にはラップは何百万ドルもの利益を生み出すほど商業的に成功し、黒人聴衆の数よりはるかに多い白人聴衆を獲得していた。それにもかかわらず、ヒップホップ・ネイションは反逆的立場と誠実さを失わなかった。

続きは minority-net で。

Night of the livinng baseheads / PUBLIC ENEMY

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