カテゴリーアーカイブ: B-Side Wins Again

暴動

…….さらに象徴的なことに、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは大企業であるメジャーレコード会社から直接デビューして成功をおさめた最初の黒人アーティスト であった。ロックンロール以降、白人マーケットを中心に繁栄してきたメジャーレコード会社は黒人音楽から事実上撤退しており、黒人の音楽であるソウルは黒 人聴衆を顧客とする小規模のインディーズ・レーベルが扱っていた。しかし、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの白人中心のロック・マーケットでの大成功 と、大企業同士の合併劇によるレコード産業界の再編、競争の激化から、黒人音楽市場が新たなフロンティアとして脚光を浴び、主要な黒人音楽専門インディー ズレーベルであるアトランティックとスタックスをワーナー、パラマウントといったメディア大企業がそれぞれ吸収してしまう。

アトランティックやスタックスは白人経営者が所有する会社ではあったが、黒人のマーケットを第一に考え、黒人音楽を理解し、聴衆のニーズを的確に捉えそ れに応えてきた。ところが70年代の大手メジャーレコード会社の黒人音楽マーケットへ参画し、黒人音楽のビジネスが大きくなるのと同時に、それまでのイン ディーズ・レーベルと黒人聴衆のコミュニティとの密接なつながりは途絶えることになってしまったのである。

さらには大手メジャーレコード会社が中小のインディーズ・レーベルからアーティストやプロデューサー、経営陣までも引き抜いたことか ら、多くの黒人音楽専門のインディーズ・レーベルは廃業せざるをえない状況に追い込まれてしまい、その結果黒人音楽のマーケットは、白人マーケットを第一 とする大手メジャーレコード会社によって占有され、黒人音楽が大企業の単なる金儲けの手段の一つと化してしまうのである。

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……. 1950年代に黒人音楽市場が再興し、音楽産業が盛んになると、ゴスペルのレコードも発売され、教会の反発を買いながらも人気を得るようになる。やがてレ イ・チャールズというゴスペル出身の歌手が1954年にR&Bとゴスペルを融合させたスタイルを確立して大成功をおさめると、多くのゴスペル歌手 達が教会以外のクラブや劇場で歌うようになり、ゴスペルの世俗化は一気に進んだ。

こうしてR&Bとゴスペルの融合から生まれた新しい音楽は「ソウル・ミュージック」と呼ばれるようになり、ロックンロールという名前で白人大衆向けに薄め られ、普遍的なスタイルとなってしまったR&Bにとって変わる黒人音楽となっていった。ロックの白人R&Bイミテーターが10代の青臭い葛藤をテーマにし たうたばかりを歌っていた一方で、ソウルは若さも大人の成熟もある黒人の生活全般を反映した主題の歌で、広く黒人達の間で支持された。

1950年代から1960年代にかけて、ビルボード誌のR&Bチャート(黒人音楽市場の人気チャート)で1位を獲得した曲のリストを眺めてみると、 1956年から58年にかけてのR&B全盛の時代にはロックンロール人気の影響から、エルビス・プレスリーの曲が6回も1位になったり、ポップ・チャート (白人向け市場の人気チャート)にもクロスーオーバーして1位を獲得した黒人音楽が60曲中20曲を数えるなど、白人の聴く音楽と黒人の聴く音楽が共通し ていた。しかし1960年代に入り、ソウルが黒人の間で人気になると再び白人と黒人の聴く音楽の指向が分離し始める。

ロックンロールが完全に白人の音楽と化し、黒人がそれに背を向けて新しいスタイルを作り出したのである。

続きは Minority-net で。

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第3章 スタイルの変遷

第2節 R & Bの時代

1940年代、第2次世界大戦の影響から黒人のアメリカ社会への進出はそれまで以上の規模で進んだ。
より多くの黒人が軍隊への招集に応じ、初の黒人将校も誕生、民間では軍需産業が黒人に多くの職を与え、黒人の都市への移動をさらに促進した。黒人が白人と 同じように活躍できるのだということを証明し、これを黒人自身が確信したことで、人種統合という事への可能性を見出したのがこの時代であった。
しかし、そのような理想を求めれば求めるほど人種差別の壁に突き当たる、という現実の社会に対する怒りは増大し、社会的・経済的平等を求める声が日増しに強まっていった。

また、戦争は音楽産業にも大きな変化をもたらした。戦争による経済の緊縮で、レコードの制作が制限され、音響機器の製造も停止された。音楽家組合も、アー ティストの録音を1942年から2年間に渡り禁止してしまう。それにもかかわらず戦争の苦しみの中で人々は娯楽を求め、音楽産業のマーケットは1941年 から1945年の間に4倍近くまで成長した。 ラジオのレコード売り上げに与える影響はさらに大きくなり、ラジオでの演奏の仕事を失った事で、ビッグバンドの時代は終わりを告げ、フランク・シナトラな どのボーカルものや新しく台頭して来た”R&B”にとって変わられる事になる。

レイス・レコードが大恐慌時代の不況下で廃れて以来、レコード化される黒人音楽といえば白人に受け入れられるようなソフトな白人リスナー向けのものばかりで、黒人の間で発展しつつあった“R&B(リズム&ブルース)”は放置されたままであった。

そのことがR&Bをジャズのように白人向けに漂白されることから逃れさせ、よりブルースの伝統色の強い黒人音楽になることを助ける結果となった。R&Bは 白人の音楽マーケットで流行する音楽とは異なる黒人だけの音楽として、以前ブルースが果たしていたのと同様の役割を黒人社会で果たすことになるのである。

***続きは Minority-netで***

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ブルースの時代

我々は、アメリカ史で奴隷解放により黒人に自由が与えられたことは、リンカーン大統領の偉大な大英断であるかのように学校で教わって来た。しかし、その実 際の理由は、技術革新による農業機械の発達や綿繰り機の発明により、奴隷の労働力がもはや不必要なものとなったためであった。技術革新による産業構造の変 化はアメリカ社会全体に影響を与えたが、その社会の最下層で弱い立場にある黒人の生活に最も影響を与えた。

20世紀初頭、工業化しつつあったアメリカ産業界はその労働力をヨーロッパからの移民に頼っていた。しかし第一次世界大戦により移民が止み、深刻な労働力 不足になると黒人にその職が与えられ、それが黒人の北部工業地帯への移動をもたらした。1914年に黒人の北部への大移動が始まり、その大部分はシカゴ、 デトロイト、ニューヨーク、ワシントンなどの都会に住んだのであった。こうして形成された黒人労働者階級は経済的にも精神的にも成長し、新たな世界観、社会意識を持ち始める。

それに加えて、黒人が第一次世界大戦に米軍の兵士として国外で戦ったことで、国際的視野から人種差別を社会的不正として認識するようになり、黒人の政治意識が黒人解放運動を発足させるまでに向上していくのである。

第一次世界大戦から1920年代前半にかけてのテクノロジーの発達によりレコードが誕生すると、レコード産業が成長し始め、人気のあった当時のジャズやブルースをレコード化し始めた。

オーケー・レーベルというレコード会社から発売されたマミー・スミスの『クレイジー・ブルース』が1万枚の売り上げを記録し、その後も黒人アーティストに よるレコードが経済力を持ち始めた都市の黒人を中心に爆発的な売れ行きを見せた。これらのことがきっかけで、黒人アーティストはレコード産業界に確固たる 地位を築くことになった。さらに、この出来事は黒人のレコード購買者という肥沃なマーケットが存在することを知らしめることとなった。

そうして黒人向けのレコードが作られるようになり、それらは「レイス・レコード(Race Records http://www.pbs.org/jazz/exchange/exchange_race_records.htm)」 と呼ばれ、白人向けの音楽とは区別されて販売された。 白人は白人向けに脱色された白人が演奏するジャズに夢中になった。ルイ・アームストロングやデュー ク・エリントンなどの黒人ミュージシャンのジャズの先駆者達を出し抜いて、その音楽を楽譜に書き留めて模倣したに過ぎないポール・ホワイトマン等に代表さ れる、白人バンドリーダー率いる白人ジャズバンドが人気を博した。同じようにビジネスの世界でも、レイス・レコードのマーケットには黒人所有のレコード会 社もいくつか存在したが、マーケットが成熟していくにつれてより大規模な白人所有の会社との競争に負け、すべて消滅してしまった。

このような出来事は人種差別による影響が主な原因となって起こっているのだが、その後のレコード産業の長い歴史においても幾度となく繰り返されることにな る、白人が黒人音楽を模倣/盗用し、さらには黒人からの利益をも白人が独占するようになるという構図は、アメリカ音楽産業の創成期からすでに始まっていた のである。(続きはB-side wins again @ Minority.com で)

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