
dmrのBlack Monday’94の解説から抜粋
…..本作のタイトルにもなった「Black Monday」とは、94年当時、東京西麻布Zoaにて開催され、シーンを盛り上げるべく一線で戦っていたECD、You The Rockらがオーガナイズしていたと言う伝説的イヴェントの名前。
後のさんぴんキャンプにおいて、Muro氏が「こんな日が来るのを待ってたぜ !」と名言を残していますが、さんぴんキャンプしかり、ナイト・フライト、鬼だまり、亜熱帯雨林等のジャパニーズ・ヒップホップの伝説の多くの原点はこのイヴェントにあると言っても過言ではありません。……….
わざわざDMRの解説を引用したのは、別に抗議してるわけではない。むしろこんなにいろいろと解説を付けてくれて感謝しているのだが、「ECD、You The Rockらがオーガナイズしていた」というのは事実じゃない。オーガナイズと呼べる働きをしていたのはYou The Rockただひとりで、Black Mondayに関してはECDは何回か遊びにきただけだ。
15年近く前の客もろくすっぽ入らなかったイベントについて今の現役世代が無知な のは当たり前のことだからしょうがない。いい加減でうやむやな情報しかでまわってないのだから。
むしろ、自分達の生活を支える産業にまでになった日本のヒップホップの成り立ちや歴史をまともに扱ってこなかった自分も含めた古くからの関係者こそ責められるべきだ。
そもそもそういう状況に一石を投じる意図もあって、自分が最大限貢献できることとして、このBlack Monday’94 の唯一のDAT音源をリリースしたのだった。
NYの80年代のZULUネイションのパーティを録音したカセット音源がいまだに出回っていて、宝物のように扱われているように、自分達がやって来たことをプラウドできなくてどうするんだ、と。
ヒップホップに限ってのことではないが、マスメディアを通じて伝えられる情報というのは案外いい加減で、それを取材して伝える側がどうでもいいと思っていることはいい加減にしか伝えられないし、伝えたくない、伝える必要がないと思ったことは省かれる。
Black Mondayについての話というのがまさにそれで、実際にそのイベントをやっていたときにはまったく注目を浴びず、その後そこに参加していた人たちがさんぴんなどで脚光を浴びた時に、その出発点として言及したことから一般に広まった。
このイベントについてまともに取材されて記事になったことはREMIX誌で一度あっただけで、後にYou The Rockがカセットテープでフリースタイルの録音ばかり集めた音源を自主流通させていたこともあったが、レコードリリースの宣伝のタイアップ記事で埋め尽くされていた音楽雑誌では、その時正規でリリースされている音源の宣伝に主眼がおかれるので、インタビューなどでアーティストがBlack Mondayについて話したとしても本来と関係のない話としか扱われなかった。
それでもこれだけBlack Mondayの話が広まっているのは、雷がそこからうまれたからだ。ECDはエイベックス所属時代に(当時は数少ないメジャーレコード会社所属のラッパーだった)、さんぴんキャンプを企画する際のインスピレーションの元になったのが雷と、NYのブッダ・ブランドだったとインタビューなどで何度も明言している。実際にBlack Mondayは90年代後半の日本語ラップシーン興隆の着火点だったのである。それが爆発した舞台がさんぴんで、それで一般に有名になったのだが、メジャーレーベルであるエイベックスが主催するさんぴんの成功とくらべ、過去のアンダーグラウンドのパーティーなどどうでもいい話でしかなく、すでにスターになったラッパー達にとっても過去の通過点でしかなかった。
当時のメディアを牛耳っていたライターが所属していた集団はどうしてもその事実を過小評価したい意図が働いていたように見えて(その代表格のラッパーのひとりは、フリースタイルが苦手でBlack Mondayには参加したがらなかった)、日本語ラップとは直接はあまり関係ないが、自分達とゆかりの深い東京のブレイクダンスクルーの古い歴史を持ち出したりして、自分達こそ正統と主張していた。彼等にとってはそれが真実なのだろう。
Black Mondayが1年続いたうち、最後の3ヶ月は抜けていたので、その間に起こったことは知らないが、スタートから形になるまでメインのDJとして関わってわかっていることは、現場を仕切ったオーガナイズはYou The Rockで、DJはBenが方向付けしてクラブプレイからフリースタイルセッションのバックDJをやり、MCとして自由自在にビートに乗っかり、フリースタイルで他のラッパーにとてつもない影響を与えてインスパイアしたのがツイギーだった。この3人が最初の核になってフォーマットをつくり、あとはどんどん参加する人数が増えていった。そこでもっとも才能を開花させたのがすでにラップを始めていたRINOで、たしかマーヤンはそこで初めてマイクを握ってラッパーになった。
フリースタイルバトルを重ねていき(バトルと言っても勝ち抜きトーナメントなどではなくてバトルロイヤルのような、即興が延々と続くマイクの奪い合い)、頭角を現したラッパー達がつるむようになって、RINOの呼びかけでテレビ番組のASAYANのラッパー・オーディションに覆面をした謎のラッパー集団として参加し、それが雷のはじまりで、その審査員をしていたのがECDだった。(ちなみにその会場だったゴールドで亜熱帯雨林などの雷のパーティがRINOの仕切りではじまることになる)
ECDはエイベックスで、NYのブッダ・ブランドを引き込んでさんぴんを開催し、ワイルドスタイルのような映画を作るという計画があったようで、その噂はすでに出回っていたが、雷に出会ってその具体的な実現の可能性を見たんだと思う。
その辺でYou The RockはECD/エイベックスとつながって、「マス対コア」に参加し、TFMのナイトフライトのパーソナリティに抜擢されることになる。
そのあとのことは僕はNYに行ってしまったので詳しくは知らない。
知っているのは、ツイギーがプリンス・ポールとのセッションやなんかでNYにレコーディングに来た時や、ブルックリン・ヤスとパトリックが「証言」のマスターDATを持ってアナログを作りにきた時や、EGG MANに依頼されてソロの楽曲制作をした時にきいた近況くらいで、とにかくそれまで無理解だったメジャーやマスメディアが手のひらかえしたように彼等の人気にすり寄ってくることに対する不信感について話していたのが強く印象に残っている。
さんぴんにツイギーが参加してなかったのは、SPELLBOUNDの最初のリリース”Mirror Ball/miharukasu kanata”のレコーディングで、NYに来ていたからで、僕がそそのかしたのもあるのだが、当初は雷はさんぴんに参加しないといっていたようで、ツイギーはそれでNYにきたものの、あとで雷が参加したと聞かされて裏切られた思いだったようだ。
それでもおかしいのが、さんぴんのサウンドトラックにはツイギーはビートキックスで参加していて、僕もEGG MANとやった曲がECDの耳にとまり、さんぴんのサウンドトラックに収録されることになり、音源では二人とも参加していたということだ。








すごい興味深い話でありがたいです!
一回もBlack Mondayに行ったことがないので、自分の中で伝説のイベントです。
話だけ聞いて憧れて、オープンマイクのイベントを10年くらい前ですが、当時の六本木Nutsで2〜3年やってました。
最近はオープンマイクのイベントがなく、若干寂しいです。